第二艦隊帰投セリ。



目標敵艦の駆逐など二の次だ。というのは、提督としてはだめなのだろう。そう思う。
私たち艦娘は兵器ですから。
寂しそうに笑った顔が、瞼の裏にこびり付いている。
息をつく。
艦隊が間もなく帰投します。その連絡を受けて港へとやってきた。廊下は走っちゃいけません。なので全力早歩きで。
お偉い方の会議や電話が入ってこない限り、書類処理なんてほっぽり出して、出迎えに向かうのが急務だ。秘書艦も溜息をついて許してくれるのでこれはさぼりではない。繰り返す、面倒くさい書類処理からの逃避では、さぼりではないのだ。署名はもう今日は疲れたなんて思ってない。思ってないですよ高雄さん。違うんですよ高雄さん。信じてください。
港にはもう他の艦娘たちがいた。出迎え組だ。姉妹艦が多いが、それだけではない。被害状況も聞いている。だからだろう、数人の顔色が優れない。逆に、被害状況を知っているだろうに、まったくいつもと調子が変わらないものも、いる。
艦娘たちから声が上がる。水平線を見るが、視力の違いでまだよくわからない。目を凝らしてしばらく確認できる六つの人影と水しぶき。この時ほどほっとすることはない。皆、自分の足で海面を蹴り、こうやって戻ってきてくれるのだ。たまに人数が増える時もあるが、それはそれでとても嬉しいものだ。
帰投すると、嬉しいことにこちらに駆け寄ってくれる子もいるが、やはり姉妹艦たちに向かう子の方が多い。それを見守るのが、とても楽しみなのだ。もう、表情も確認できる距離まで艦隊が近づいてきていた。艦娘たちにとったら、もう手の届くほどに見えるだろう。だけれどその距離はまだある。
ほら、もうすぐ。ほら、もう少し。ほら。

「艦隊が帰投しました」

おかえり。







駆け寄ったのは大井さんの方だった。

「北上さん!」
「あー、大井っちー」

満面の笑みを浮かべた大井さんに、北上さんはいつものようにへらりと笑って片手を揺らした。
頬やら服やらが煤けているが怪我はない。さすがハイパー北上様。今回は戦艦が多い海域だったから掠っただけでも大惨事だと考えていただけに、無傷であることが嬉しい。

「球磨たちは?」
「出撃してます」
「あ、そういやそんなこと言ってたっけ」

球磨型のあと三人は現在出撃している。残ったのが大井さんだけだったのだが、こうして北上さんの出迎えが出来るので怒られはしなかった。本当は一緒に出撃したいのに。そう言われたがまだだめだ。もう少し我慢してください。

「聞いてよ大井っちー、あたし、MVP取ったんだよー、えむ!ぶい!ぴい! 凄いっしょ?」
「ええ、さすが北上さん、凄いわ」
「でっしょー」

北上さんは大井さんにピースサインを向けて、にっと歯を見せて笑っていた。うん。キラキラしてるぞ、北上さん。次の出撃も頼りにしてます。北上さんの魚雷、凄いです。そう言ったら、その言い方何か嫌なんでどうにかなりませんか、と苦言を誰かに呈された気がする。凄いから仕方ない。

「でもまあ」

溜息と混ぜた声だった。
北上さんの、力を抜いてだらんと下がっていた腕が今度は両方、上がった。キョンシーのようにそのまま、足を踏み出す。

「北上さんっ!?」
「さすがに疲れたわー」

向かう先は、大井さん。
首元に腕を回して、肩にだらけるように抱きついて。ああ、これはもう脱力している。艤装つけたままなのに。さすがというか、大井さんはしっかり抱きとめていた。その顔、いや、もう耳まで赤いのは、黙っていよう。ただし目に焼き付けておこう。あとでからかおうだなんて思っていない。そんなことしたら、あの時の北上さんが如何に可愛らしかったか、という題目で小一時間は語られてしまう。渋いお茶がお供に要る。いや、聞きたくないというわけではないけれど。

「あ、忘れてた」

抱きついたまま、北上さんは笑う。へらり。やはり変わらない笑みだが、はにかんだ、という感じだろうか。
北上さんは、言う。

「ただいまー、大井っち」

耳元でそれを聞いた大井さんは、瞬きをして、本当に、本当に。

「はい、おかえりなさい、北上さん」

嬉しそうに目を閉じて、笑った。














手を振る姉妹艦に近づいて、笑いを浮かべたのは古鷹さん。

「おっかえりー! 古鷹!!」
「うん。ただいま、加古。変わりはなかったかな」
「んー、なかったと思う。寝てたからよくわかんないけど」
「ええぇ……」

仕方ないなぁ。まったくもう。それを混ぜた色の顔で古鷹さんは、からから笑う加古さんを見ていた。
そこは少し注意をしてほしいのだが、とりあえずよしとしよう。
そんな二人に、さらに駆け寄る足音が、二つ。弾むようなものに、引っ張られるようなもの。ばらばらで、てんで揃わないそれは古鷹さんの前で止まった。

「古鷹! おっ疲れ様ー!」
「衣笠も遠征だったでしょう? お疲れ様」

加古さんと同じく笑顔でそういうのは衣笠さんだった。
その衣笠さんも気に掛けるところが、実に古鷹さんらしい。笑顔二つに迎えられた古鷹さんは、見る。光彩の色が左右で違う、その目で。衣笠さんに手を握られて、引っ張って、連れてこられた、その子を見る。
青葉さんは、自分に、その目が向けられたと見た直後に顔を俯かせた。ここからではその表情は見えない。見えないが何となくはわかる。わかるが、その心情までは全くもってわからない。それはきっと青葉さんと、もしかしたら古鷹さんのものだ。艦娘たちの記憶は、交わるものが多すぎる。
下げた視線の先で青葉さんの目に触れたのは、血は止まっても生々しい傷跡だったのだろう。

「怪我、してる、じゃ、ないですか。早く、ドックに」
「うん。そうだね」

震えた声を聞いても尚、古鷹さんは、ずっと青葉さんを見ていた。その唇に静かに笑みを浮かべたまま、青葉さんを見ていた。
頷いて、肯定はしても、古鷹さんはそこを動かなかった。青葉さんも、動かない。いつもならきっと走り去っていても、衣笠さんと繋いだ手が、それを出来なくさせている。いや、おそらく振り払おうとすれば簡単には慣れてしまう握り方なのだろう。だが、青葉さんは動かない。加古さんも、衣笠さんも何も言わない。
青葉さんは、少しだけ視線を上げて、少しだけ、古鷹さんを見て。

「お、かえり、なさい、古鷹さん」
「うん。ただいま、青葉」

古鷹さんは、やっとのことで絞り出されたその零れた言葉を、両手でしっかり受け止めて、笑った。




















港の桟橋にその肢がつくのを待ちきれないとばかりに、瑞鶴さんは駆け出していた。
先日の改造で変わった艤装の迷彩が、目に新しい。

「翔鶴姉! おかえりなさい!」

どこか慌ててやってきた姉妹艦に、翔鶴さんは目を丸くしてそれから微笑む。

「瑞鶴、お出迎えに来てくれたの?」
「うん」

そんな翔鶴さんの言葉に瑞鶴さんは一瞬だけ言葉を詰めたのがわかったがすぐに頷いて、笑う。そうして忙しなく、すぐにその表情を変えた。
少なからず破れた服と、血潮が流れた跡。白い包帯に沁み込むのは、同じ色。小破。そう、報告は受けている。瑞鶴さんの右手が、赤い跡のない翔鶴さんの左手の指先を握った。

「翔鶴姉、怪我……」
「平気よ」

眉を下げた瑞鶴さんに翔鶴さんも眉を下げた。心配と、安心。悲しみと、笑顔。真逆の意味だとわかる。
繋がれた瑞鶴さんの右手を、親指の腹で撫でて翔鶴さんは笑っていた。慈しみとはおそらくこの顔を言葉にするのだろう。そう思えるくらいには翔鶴さんの瑞鶴さんに対する想いは溢れていたのだ。ただの傍観者である物がわかるくらいにそれはとめどなく。
翔鶴さんは右手を上げて、自分より少しばかり高い位置にある瑞鶴さんの頬に触れようとした。が、その手が赤くなっていることに気付いて、中途半端に触れるか触れないかで掌を止めた。熱が、わかるくらいの距離。

「瑞鶴も出撃だったでしょう。怪我はない?」

翔鶴さんはそう言った。
その時の瑞鶴さんの顔を言葉にすることはできない。ただ、見慣れた。いつもの。この二人の間で帰投が交わされる度に見る表情だ。

「だいじょうぶ、だよ」

いやに強張った声で瑞鶴さんはそう言った。それも、いつものこと。
翔鶴さんが止める前に瑞鶴さんは左手を翔鶴さんの右手に、触れることを止めていたその手に重ねて握る。渇いた血潮が、瑞鶴さんの手にも移る。それに翔鶴さんが口をぎゅっと噤んだが、瑞鶴さんは指先だけだった繋がりもしっかりと繋ぎ直していた。
迷子の子供の様な握り方だと、ふと思った。

「早く、ドック行こう。工廠妖精の子に頼んで、ちゃんと空けてあるから」
「瑞鶴?」

片手を繋いだまま瑞鶴さんは踵を返す。翔鶴さんがよろけない程度の速さで歩いて、工廠へと向かっていく。先を歩く瑞鶴さんの、翔鶴さんが見れないその表情はそれこそ、迷う子のものだった。



















先に港に足を下ろした霧島さんが、陸に上がるのを手伝おうとすると平気だと苦笑した比叡さん。
そんな二人に、普段なら聞くことがない乱れた足音が駆け寄る。

「比叡お姉様! 霧島!」

いつもの穏やかな様子はない。榛名さんは比叡さんの姿を間近で見て、余計に狼狽した様子だった。

「お姉様ッ……!!」
「大丈夫大丈夫、って言っても、この恰好じゃ説得力ないか」

中破とされたその傷は痛々しい。榛名さんが胸元に抱き締めていた大きなタオルを受け取り、それを羽織る比叡さんは表情を歪める榛名さんに笑いかけた。それに榛名さんの手が強く強く握りしめられたことに、比叡さんは眉を下げて、赤く彩られてしまった包帯が目立つ腕で、手で、後ろ頭を軽くかきながら、おどけたように言う。

「あはは、結構やられちゃったー。情けないねー」
「何を仰るんですか。あちらの戦艦を二隻沈めたのもお姉様です」
「霧島が削ってくれたからだよ」

僚艦として出撃していた霧島さんは、ずっと比叡さんの隣にいる。いつでも支えられるように、いつでも変化に気付けるように。
双子の姉ほど取りみだした様子はない。ないが、内心そうではないのだろう。何せ、戦闘を共にしていたのだ。被弾したその場にいたのだ。溢れる命の欠片を、見ていたのだ。包帯とは違う布が比叡さんの腕に巻かれているのも、霧島さんの上着の裾が破られているのも、わかっている。
霧島さんから気遣わしげに向けらた視線にも、比叡さんは口元を緩めていた。

「えむぶいぴーは北上ちゃんに取られちゃったけど」
「一撃で旗艦を潰しますからね……」

それはほら、あの子たちの強みだから。でも調子がとても良い時の艦娘たちは大抵そんな感じだろう。届くわけのない言葉を頭の中に思い浮かべる。
少し緩んだ空気の中、比叡さんはすぐ下の妹を見て、ふっと息を抜いた。やはり姉妹だ。一番上の姉に似た微笑み。

「榛名? 泣いちゃうと、お姉ちゃん困っちゃうなー」

目に涙をためているであろう榛名さんに、比叡さんはあまり血がついていない方の掌を拭ってから、その頭を優しく撫でる。それは逆効果だろうな、と思った。だが、比叡さんらしいとも思う。なんとか涙を堪えていた榛名さんに、霧島さんが寄る。

「榛名」

ああ、それも逆効果だよ、と思う。霧島さんの、とてもとても柔らかい色の呼び声。ぽたりと、数滴の涙が流れたのを見た。
きりしま。榛名さんは口だけで、音にはならない声を出したようだった。ぎゅっと握りしめられていた榛名さんの手が、今度は霧島さんと繋がれていた。いつもなら何か言うのに、霧島さんは何も言わずにそれに応えている。双子とは、そう言うものなのだろうか。

「二人とも、おかえりデース」

そこに、いつも通りゆったりとした足音が届いた。
いつも通り、いつもと変わらない声色が届いた。
駆け出した榛名さんの後ろをゆっくりと歩いてきた金剛さんは、二人の妹にいつもの笑顔を向けていた。

「「ただ今戻りました、お姉様」」

それに、いつものように返した比叡さんと霧島さん。
頷いて、金剛さんは比叡さんのすぐ前までやってくる。比叡さんの頭のてっぺんから、爪先まで。じっと見た金剛さん。

「比叡」
「金剛お姉様……」
「Congratulations! よく頑張りまシタ」

大輪の花が思い浮かぶ、笑顔であった。まず金剛さんが伝えたのは、賛辞と、労い。
比叡さんの顔に広がるのは、金剛さんを薔薇とするなら、向日葵、であろうか。そんな笑顔。

「はい!」

尻尾が見える。ちぎれんばかりにぶんぶか振られている尻尾が。
うちの鎮守府にはいぬが多いな。うん。平時とあまりに変わらない金剛型の上の二人を見ていると、そんな事を思ってしまう。
ぼんやりそう思って、金剛さんの表情が変わったことに、いや、ずっとそうなのかもしれないが、表に出てきたことに気付いた。

「早く傷を治してきなサイ」

金剛さんは、指先で比叡さんの前髪を梳いて、微笑む。

「そうしたら、皆でTeaTimeにしまショウ」

お姉ちゃんの顔というものを、していた。
比叡さんが頷いたのを見て、同じ表情を金剛さんは霧島さんにも向ける。

「霧島も、ネ」
「はい。金剛お姉様」

霧島さんの妹の顔というのも、珍しいものだ。
これが誰かが言っていたギャップ萌えというものなのだろうか。二人とも、いつもああしてたらいいのに。
自分たちの方を見ていたことに気付いたらしい金剛さんがこちらに投げキッスをしてきて、比叡さんが親指を立ててにかっと笑い、榛名さんが目を丸くして、霧島さんが溜息をつく。それを見ながら、これが金剛姉妹なのだろうと、何となく納得した。













ひらひらと金剛さんたちに手を軽く振っていると、背後に気配。
振り向くと、帰投した艦隊の、旗艦。

「提督、ただ今帰投しました」

おかえり、赤城さん。怪我がなくて何よりだ。
いつも通り穏やかに微笑した赤城さんの視線が少し周りを見回したことに気付く。ははあ、なるほど。わからないほど鈍くはない。
青色を探したのだろう。それが無意識だろうが、なんだろうが、だ。
加賀さんは今入渠してるよ。
赤城さんは瞬きをした。

「被弾したのですか?」

したのです。
加賀さんが加わっていた艦隊の方が帰投がずいぶん早かった。中破した伊勢さんが怪我したまま騒いでるものだから日向さんがキレかけたり、お出迎えの時雨さんに抱きついた夕立さんがもろともスッ転んだり、潜水艦を沈めた羽黒さんがお姉ちゃんたちに褒められて凄く照れてたり、不知火さんが姉妹艦にお出迎えされて表情筋少し緩めたり、小破した陸奥さんを長門さんがお姫様抱っこしようとしてめっちゃ怒られたりしてたんだけどね。そんな中、赤城さんが戻ってくるまで待ってるだとかお出迎えをだとかだだをこねたので、怪我してるのをわざわざ見せるのと飛龍さんが言って、大人しくなったところを蒼龍さんに連行させました。

「ぁー……」

赤城さんの脳裏には色鮮やかにその光景が浮かんでいることだろう。
今頃機嫌がよろしくないだろうなぁって思ってたら、無言でしかも怖い顔してるから工廠の妖精さんたちが負のオーラがヤバイと伝聞飛ばしてきたくらいだ。この前みたいに、被弾したなんて、これでは一航戦の誇りが、赤城さんにどう謝れば、なんて考えてるんだろう。本当に、色々と吐き出せなくてどんどん自分にため込んでいく。そのまま熱暴走しないかハラハラしているのだ。関係ないが加賀さんが入った後のお風呂が熱湯になってて駆けこんできた駆逐艦たちを思い出した。
そうだ、それとは違うが思い出した。
今回ね、加賀さん、MVPだったんだ。

「そうですか」

嬉しそうに目が緩んだ赤城さんを見ると、こちらの口元も緩んでしまう。
それで、ご褒美に間宮さんのアイス券を渡そうと思っていたのですが。

「私も旗艦頑張りましたよ提督」

あっ、はい。
いや、うん、そうだな。赤城さんの唐突の言葉に労いを返す。うん、旗艦お疲れ様。
話を戻すが加賀さんがMVPでご褒美に間宮さんのアイス券を渡s

「開幕爆撃でクリティカルを連発しました」

あっ、うん。流石赤城さん。素晴らしいです。
だからね、加賀さんにアイスk

「提督」

何かな赤城さん。

「アイス食べたいです」

ええぇ。キリッとした表情をここで使うの赤城さん。使いどころ違う気がするんだが。
この前御煎餅いっぱいあげたでしょう。それはどうしたんですかああうん言わなくていいやわかった。間宮さんや鳳翔さんや食堂の面子を困らせる正規空母組と戦艦組は、仕方ないにしてもどうしようもない。家計のやりくりは大変である。
間宮さんのアイス券を懐から二枚取り出す。予想外の出費だ。
ちゃんと加賀さんにも食べさせてくださいよ。

「解りました! 食べさせます!!」

うん。
うん? 食べさせる?
ま、いいや、あと戦果報告書もよろしくお願いする。
キラキラした赤城さんを見送りながら、何か少し間違った選択をした気がした。
何はともあれ。
皆が帰ってきてくれたことが、何よりの戦果だ。







さて。

「お迎えは終わりましたか? じゃあ執務室に戻りましょうか」

……高雄さん、いつの間に。

「戻りましょうか、提督」

はい。



違うんですよ高雄さん。別にこれから間宮さんに行こうなんて考えてなかったんですよ。
「書類、また溜まりますよ」
はい。

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