トレイせんせー



今回はトレイお兄ちゃん










笛の練習をしている時。
本を読んでいる時。
髪をまとめ直している時。
色んな時。
見つけて、なんとなく、傍に寄るのがいつものこと。
でもこの子はちょおっと鈍くって、わたしが近づいてもゆっくり十数えたくらいでやっと気付く。べつに誰かみたいに気配消してたり、逆にここにいますよーってアピールしているわけでもないけれど。
何度か驚いた彼女の笛が奏でた悲鳴に、頭の中をぐわんぐわん揺さぶられて酷い目に遭ったこともある。
けど。
見つけると、なんとなく、傍に寄るのがいつものこと。

「えっと、シンクさん? 何か御用ですか?」

この子がちょっと困った顔してこっちを見てくるのを、じぃっと見てるのもいつものこと。
すぅこし垂れ目の、きれいな色。飴玉みたいなきれいな色。
うぅん、甘いもの食べたくなってきた。

「デュースー、お菓子食べに行こお〜」

そうして、腕を取るのもいつものこと。












背もまだまだ低かった頃。
わたしたちが暮らしていたのはもちろんマザーの管轄内で、部外者の人たちの目に付かない所。
だあれも遊んでくれなくて、窓から雲を眺めながら、とん、ととん、とんとん、とん、飛んでく鳥の鳴き声に合わせて足を進めていた日。
鳴き声が止んだのは、わたしやジャック、ナインがあんまり来たことのない場所の扉の前。
いつもならそのままどこかへ行っちゃうんだけど、その時は扉に手をかけていた。
そうして。
眠るあの子を見つけた。
備え付けられたソファに身を深く沈めて、寝息を立てるその手元にはよくわかんない本。
オタマジャクシがいっぱい。楽譜だって言うものだとは知っているけれど、笛や歌にしてくれなきゃ、わからないもの。

「デュースぅ?」

こんな所で寝ていては風邪をひいてしまいますよ。
クイーンの真似をしたけれど、眠った子は起きない。すうすう。鳥の鳴き声の代わりに寝息が聞こえる。
ちっちゃい頃から知ってるけれど、寝顔はずっと変わらない。キングなんて眉間に皺寄ってるのが多くなってきたのに。この子はずうっと日溜まりみたいな寝顔のまま。
足元に屈みこんで、ソファに手をつく。近くで見るのは、この子の寝顔。

「起きないのー?」

睫長いね。ほっぺふにふにだ。前髪今度切ってあげる。シャンプーの匂い。
じいっと見てても、起きない。そういえば、午前の訓練、頑張ってたもんね。二人で組む時は、武器の相性であんまり一緒になれないから、近くで見れないけれど、なんとなく見てるよ。今日はエイトだったね。わたしはケイトだったよ。
卵一個分の間がある。
わたしはデュースを見る。
どのくらい見てたかわからないけれど、ふっと、目が一点に留まった。
薄い桜色の唇。
何を考えたかなんてわからないくらい、自然に。
わたしは。

「やぁらかい」

わたしはたぶん、今までで一番甘いものをその日、口にした。












その後。
それは普通、二人とも起きてる時にするものだと知った。

「ねえー、トレイぃ」
「何ですか?」

わたしたちの中でも一番物知りさんで、なんとなく聞きやすくて、キングより先に見つけたのが、トレイだった。
机を挟んで座り込んで、トレイが本から視線を私に向けるのを見て、言う。

「ちゅーって、相手が寝てる時にしてしていいものー?」
「…………はい?」

んもー、聞こえなかったの? ちゃんと聞いてよ。
もう一度、言う。
わたしの疑問。

「だからぁ、ちゅーってする相手が寝ててもしていいのぉ?」

あ。
知ってる。
こういうの、目が点になるっていうのでしょお。
でもほら、答えてよ。自慢の知識を、今、まさに、求めているのだ。

「トレイせんせー教えてー」
「ちょっと待ってくださいシンク、……待ってください」

掌を向けられて、待ったをかけられた。
えー。仕方ないなぁ。ちょっとだよ。












落ち着いたらしいトレイは、咳払いをしてから、真剣と不思議と不審が混じった目をして言った。

「まず確認があります」
「はぁい」
「相手の了承は取ってあるという前提のもとですか?」

挙げていた手をゆるゆる下ろしながら考える。了承って、返事ってことでしょ。
えーっとね。

「ううん、りょーしょー取ってない」
「してはいけません」

真顔で即答された。











机にほっぺをくっつくて、ぶーたれる。

「ええぇぇええ、何でぇ?」
「ダメに決まっているでしょう。そもそも接吻というものは互いの愛情を確かめるための行為としてですね」
「ねぇー、トレイ」
「それこそ特定の相手にしか許してはいけないもの……何ですか?」
「せっぷんてなぁにー?」
「……」

あー。
いけないんだー、何かちょっと哀れな目で見るのいけないんだー。
教えてもらった。ちゅーってそういう言い方あるんだね。
冷たかった机がほっぺと同じ温度になっていく。
しばらく傾いたままのトレイを見上げて、もう一度確認。

「つまりぃ?」
「ダメです」

やっぱりだめだった。
ぶー。
どうして、だめなのか。それを教えてくれるらしい。

「頬などならまた別ですが、接吻は特別な人とするものなのです。自分だけがそう思っていても、相手も同じように思っていなければ、してはいけません」
「特別なって、どんなー?」

わたしは特別って言うのがわからない。
マザーと、十二人。それ以外なんてないじゃない。
わかんないよ。それって、なぁに。
トレイは、言う。

「愛情を注いで、かつ注がれていると想う人、です」
「マザーも愛してるって言ってくれるけど、それとは違うのぉ?」
「マザーは別格です。比べるまでもありません。しかしそれとこれとは違うのです」
「どんな風にー?」
「この場合は家族愛や親愛ではない愛情です。恋し愛されるという、感情ですよ」

……。
…………。

「ふぅん」
「明らかに良くわかってないって顔しないでくれますか」

あっ、ばれた。
溜息つくと幸せが逃げてっちゃうんだよ。

「ところで」
「んん〜?」

目と目の間を抑えていたトレイが、ちょっと強めに言う。

「誰かにしてしまったとかそんなことはないですよね?」

してしまったか、してしまってないかって言ったら。
してしまったわけだけど。

「トレイじゃないから安心して〜、トレイにはする予定もする気もないしぃ」
「そういう問題じゃありません!」

がたんって音を立てて立ち上がったトレイが、さっきより強く言ってきた。
あー。
最近外局の人たちと会うの多くなってきたもんね。
心配してくれてるんだ。ところでその心配ってどっちにしてるのかなー。
でもそいつらじゃないからだいじょーぶ。だいじょおぶ。
んんー。

「それともー、してほしい?」

かたんって音を立てて、わたしも立ち上がる。
身を乗り出して、すごおく近くに、トレイの顔。
あ、目丸くなった。

「わあ、男の子なのにトレイも睫長いねぇ。キングとエースも長いけどー」
「……はあ」

そして、すごおくおっきな溜息つかれた。
ええー。
可愛い女の子に対してそれは失礼じゃないかなぁ。
それでも間近でトレイを見詰めてわかったこと。

「うーん、したくなんないなぁ」
「当たり前でしょう、私だってそうです」

だよねー。
もう一度おっきな溜息を吐きだしたトレイに、離れなさい、って言われるまで凄く近くで見ていたけれど。
やっぱり、何にも、思わなかった。
思わなかったけれど、動かなかった。思わなかったとわかったから、動かなかった。
あの時とは、全然違う。
うーん。
わかんないなぁ。
質問の模範回答はわかったけれど、もう一つ疑問が生まれた。
それがわからない。
考えるわたしに、トレイは念を押す。

「いいですか、了承を取らなければ……最低限、伺いを立てるというプロセスを踏まなければいけませんよ」
「うぅえぇええ……」
「はい、は?」
「……」
「シンク」
「はぁい」

トレイせんせー厳しい。
他の人に聞けばよかったかなぁ。














と、言われたので。
りょーしょーを取るっていうか、うかがいを立てるということをしなくちゃいけなくなったので。
寝てる時に近くに行くことはよくあったけど、あれ以来、それをすることはなかった。
起きている時にうかがいを立てるって言うのは、まだ、なんとなく、していない。
わからない、から。
どうして、何も考えてなかったのに、そうしちゃったのか。
どうして、何も考えてないはずなのに、そうしてしまったのか。
わからない、まま。
あの子の傍にいると、自分がわからない時がよくあると気づいたのは、あれからもっともっと後のこと。背が大分伸びた頃のこと。
それが不思議で、ちょっとだけ不安で。
それでも。何故か。
見つけると、寄って行ってしまうのは。

「デュース〜」

いつもの、こと。



まだ自覚ないシンクちゃん。

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